2001年11月3日 責任を持つということ
9月11日、ニューヨーク貿易センタービルが攻撃され、すでに一ヶ月半以上がたった。今日まで、気持ちの晴れることはなく、複雑な思いでいっぱいだ。 私が20年近く勤めた富士銀行の仲間が、被害に遭った。 行方不明の邦人行員のうち5人もの方々が、ロスアンゼルス勤務時代を含めて、実際に業務でご一緒したり、ご指導いただいた方々だ。 ご家族のお顔まで目に浮かぶその方々は、みんな責任感あふれる優秀な行員だ。 本当に悲しくむなしい気持ちでいっぱいだ。
10月8日からアメリカによるアフガニスタンへの攻撃が始まったが、民間人を巻き込むことなく、早期にテロの実行犯を捕らえてもらいたいという多くの国民の願いもむなしく、炭疽菌によるさらなるテロ攻撃、国会での「テロ対策特別法案」成立など、まさにあの日を境に、世界が大きな紛争の渦の中へと突入していくかのようである。
以前までは、アフガニスタン・パキスタン両国と日本は、友好な関係を保ってきたはずである。それが、物資の輸送や難民への支援という名目で、今回はいち早く自衛隊を送り込んでいる。 どのような名目にしろ、国際社会からは「日本は今回の戦争に参加している」と見られるのは当然のことである。
また今回の法案成立により、国会での事前承認なくして、緊急事態に対応できるようになった。政府は、大変大きな責任を負うことになったのである。 それに対し、小泉首相から国民へ向けてのメッセージがあっただろうか。私は、そうは思わない。「同盟国が攻撃を受けたのだから、助けるのはあたりまえ」という、きわめて直情的な対応であったように思う。
自衛隊のあり方を含めた「わが国の基本方針」というものを、戦後56年間にわたり、きちんと議論し、方向を見出してこなかった政治のつけが今、ここに廻ってきている。
「戦争をせず、自分の国をきちんと守る」ことのむずかしさは、政治家ならずとも一般の国民も重々分かっていることだ。そのためには、やはり軍備を持つということが必要なのではないか、又、そうでないなら、他にどのような手段で国際社会に貢献するのか、ということが、きちんと議論されるべきであったと思う。 今また、自衛隊の派遣という事態に至って、小手先、口先の議論ではなく、国民に向かってきちんと説明をするということが、派遣される自衛隊員に対しても、ひとりひとりの国民に対しても「責任を持つ」ということになるのではないだろうか。
この不況、生活環境や牛肉を含めた食料に対する不安感も、すべては「責任ある立場にある人間が責任をとらずに済んでいる」からだ、ということは、これまでも再三訴えてきた。 今回、ニューヨーク貿易センタービルで行方不明になった富士銀行の仲間のかたがたは、若い部下を先に避難させ、さらに会社に戻り安全を確認しようとしたという話も伺った。彼らは、その責任感の強さゆえ、命までも代償にしてしまったのである。
そんな立派な方々の仲間のはしくれとして、政治家を志す者として、「政治の責任」ということを常に念頭において活動したい、未来の子供達に対して責任の取れる政治家を志したい、と強く決意を新たにした。





